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ハロウィンの祝祭の根源

ハロウィンの祝祭を始め、中世ヨーロッパの有名な祭りの多くは、一見すれば、ほとんどキリスト教にまつわる祝祭となっています。

しかしながら、そのルーツを調べてみると、面白いことに、キリスト教以前のアニミズム的な習俗(すべての存在するものに霊魂が宿っているという視点)が基盤となっていることが明らかであり、それは、キリスト教とそれ以前の古代の習俗の間に、長い葛藤と融合の歴史があったことをものがたっています。このことを認識するだけで、ハロウィンのイベントの位置づけやあらゆる祝祭の位置づけが明確になり、ハロウィンに対しての理解や認識が容易になり、深く理解できます。

わかりやすい例として挙げると、ハロウィンのシーズンの後のキリスト教最大の重要なクリスマスの祝祭として、主イエス・キリスト生誕を祝いますが、このルーツは、ヨーロッパ各地の冬至祭に認められます。まず、キリスト教伝播以前の古代ローマ帝国時代では、太陽信仰が盛んであり、それに由来するサトゥルナリア祭が祝われていました。大地をつかさどる農耕神であるサトゥルヌスは、「死の太陽」といわれ、「夏の太陽」との対極に位置づけれていました。古代ローマでは、この神をなだめ、春の再来を祝サトゥルナリア祭が、太陽の一番弱くなる冬至かその直前の「17日から23日までの7日間(フレーザー)」において行われていました。その祭に、生贄が大地に捧げられ、「死の太陽」の復活が祈願されましたが、この古代の冬至祭は、民衆の最大の祭りでした。そして、サトゥルナリア祭は、やがて復活祭前のカーニバルに移動されて、クリスマスとルーツを共有することになります。

以上のように、太陽は、万物の生命力の根源であるので、古代のアニミズムでは、信仰の中止をなしていました。また古代のインド生まれで、ペルシアから古代ローマへ流入したミトラ教も、典型的な太陽信仰が盛んな宗教でした。これは、紀元前の4世紀ごろまで、ローマの国教として人々に大きな信頼をえて過ごしていました。ミトラ教も12月25日の冬至を太陽再生の日として、祝日にしていたことは、太陽信仰からみれば、当然でのことでした。

このような、太陽信仰によるものや中国の二十四節気の冬至12月22日、秋分の日9月23日、夏至6月21日、春分の日3月21日という日が、より意味を持っていることが分かります。
現代のように、季節を10月31日のハロウィンや12月25日のクリスマスとして認識すると、その祝祭とのつながりの意味や歴史など本質を見逃してしまいますが、季節の節目ごとに大きな祝祭が行われるという視点だと、古代から中世までの祝祭と伴った生活が実際に見えてくる気がします。

さらに、ハロウィン衣装で仮面をつけたり、仮装したりする意味も由来や歴史を見ることでつながりが見えてきます。ハロウィンの祝祭を紐解いて、分解すると、一つ一つにそれぞれ意味があることがわかり、大変面白く、興味深く感じます。ハロウィンの仮装に関係してくる仮面の歴史についてもこれから更新していきたいと思います。