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ヨーロッパに影響を与えているケルト民族

ハロウィンでゆかりのあるケルト民族の文化は、ヨーロッパでどれくらい影響を与えているのかというと、現代のヨーロッパの文化や宗教などの土台になっている点をいくつもの見ることができます。
80年代後半にベルリンの壁が壊れ、ヨーロッパの統合が進み、EUとなってかなり経ちますが、その構造としては、ローマ的な中央集権国家のような形をしているので、どうしても絶対的思考にならざるを得ない傾向がでてしまいます。不公平な世界が生じてもおかしくなないのですが、そこに、ケルト的思考や文化が現在のEUのバランスを取っていると思えるのは、ケルト民族の特徴として、絶対的なものは認めず、中央集権というよりは、地方分権を重視する文化なので、それぞれの部族が消滅せずに、存続して可能な社会に維持できているようなる位置づけを果たしています。

ハロウィンの起源であるケルト民族の意義を強く感じます。そんなケルト民族のハロウィンです。かつては、ヨーロッパを席巻してしたいたケルト民族は、アイルランドとスコットランド、ウェールズに面影を残すのみになっているように見えますが、文化の根底を探すと、ヨーロッパの各地に面影を見つけることができます。

ケルト言語としては、アイルランドとスコットランド、ウェールズのみに残っていますが、言語としての文化継承はこの地域くらいになります。その他の形の文化としては、フランスのブルターニュ地方に色濃く残っていることで知られています。また、ロリアンという地方は、世界各地から祝祭のためにケルトの末裔が集合したり、パリの教会の十字架にはケルトと同じ円のついた十字架なども存在しています。ノートルダム寺院のもとの土地もケルト民族の遺跡があった場所であったりするので、ケルト民族の文化の基礎の上に、ギリシャやローマの文化が築かれたと言えます。

それくらい影響力のあるケルト民族だったのです。

ハロウィンの起源であるケルト民族

ハロウィンの起源で重要になるケルト人はいったいどこから来たのでしょうか?

原ケルト人と呼ばれ、ケルトの祖先と考えられている人々です。青銅器時代末期までは、ヨーロッパ大陸の定着農民は死者を土葬にしていましたが、それを火葬を行い、灰を骨壺に収めて葬ようになり、骨壺は、一か所に集められて葬られ、墓地を作った人々です。

紀元前3000年から2000年の間に、アルプスの北側、ライン河とドナウ河に挟まれたヨーロッパの中部の森林地帯で、いくつもの部族が理解する共通の言語や独自の文化を形成しました。紀元前7世紀頃からヨーロッパ各地に移動を開始始めたとされます。

ケルト人は、各々、定着農民が住んでいたと考えられる場所に移動して、定着農民を駆逐していきます。その決定的な要因が鉄器の使用であり、青銅器に比べると、はるかに加工しやすくて、剣や銛
(もり)が簡単に作ることができ、先住民との戦いでは大いに役立ちました。

ケルト人は、好戦的な民族だという噂があるが、それは、当時において文字で記録をする習慣があったギリシアやローマによる偏った見方にすぎないのです。戦術は先住民よりも機能的であったとされます。ケルト人は、、車作りの技術にも優れていて、戦士をのせた4輪や2輪の戦車を開発したり、また、馬にも乗る習慣があったため、機動力もあり、強力な戦隊となっていました。

鉄器は、戦争だではなく、農耕や狩猟にも使用されて多いに発揮されて、鉄でつくった鍬(くわ)や鋤(すき)などは生産性を向上させたり、また鎌に至っては、その優れた形状は、19世紀まで別の民族にも受け継がれて、使用されたされています。

狩猟では、銛や短剣が活躍されて、当時のケルト人の生活は、他の民族よりも秀でている文化がありました。

こうして、ケルト民族は、ヨーロッパ各地に広まり、最盛期にはブリタニア(現在のイギリス)、ガリア(フランス)、イベリア(スペイン)、西ドイツ、北イタリア、バルカン半島等までに勢力を拡大していきます。

このようなケルト民族の起源と勢力の拡大が見られました。

ハロウィンを知る上で欠かせないケルト人の文化は、長い歴史のあるものだったのです。また、ハロウィンで魔女などの仮装・仮面をしたりするアニミズム的宗教感も特徴的です。

ケルト民族の影響を受けたハロウィン

キリスト教徒とケルト民族の文化の影響を受けているハロウィンですが、ここで、ケルト民族とはいったい何という疑問が生じるかと思いますので、これからまとめていきたいと思います。
ハロウィンは、ケルトなしには、語れない文化であり、祝祭なのですが、多くの人はケルトのことをほとんど理解できていないので、是非このハロウィン衣装を着て仮装したりする機会にケルト文化について理科を深めて、興味を持ってもらえればと感じます。よりハロウィンが大好きになり、同時に文化も知ることができ、教養も深まり、ひょっとすると、スコットランドやアイルランドに旅行に行きたくなるかもしれません。

面白いことに、日本の教科書には、”ケルト”という言葉が2回しか出てきません。なのでケルトのイメージが全く湧くはずがないのは無理がありません。ただ、「ケルト」といえば、ミステリアスな雰囲気やイメージが多く、同時に多くの魅力もあります。例えば、石に掘られた曲線の絡まる文様や精霊信仰などは一例になります。

高校の教科書を見てみると、ケルトという言葉が出てくるのは、2回ですが、一度目は、カエサルがガリア(今のフランス・ベルギー地方)に遠征した「この地のケルト人を平定した」とかかれているだけです。そして、2度目は、「アルプス以北のヨーロッパには、前6世紀ころからケルト民族が拡がっていたが、ゲルマン民族は彼らを圧迫しながら四方に広がった」(山川出版の世界史B詳説から)だけなのです。両方とも、主語レベルでの扱いではなく、ヨーロッパ大陸を席巻することになる別の民族を中心にした章に、引き立て役として、ほんの一瞬出てくる程度です。

カエサルが代表する場所のローマやゲルマン民族は、共に現代にいたるまで、世界に影響を与えてきた国であるのは間違いないが、その陰には、教科書に書かれていないケルト民族の魅力が知られないままになってしまっている。ケルト民族の歴史や起源や宗教や生活などを次回にまとめていきます。

ケルト民族のアニミズム的な習俗が見えてくると、ハロウィンの仮装が時代を超えて、自然な流れで受け入れられます。現在の商業的ハロウィンイベントと同時に歴史のあるハロウィンを2つ見ることができると感慨深くなります。

ハッピーハロウィン!